どうも、もはぷりです。
ちょっと長くなります。
休職したのが昨年の7月からでした。
1人月の現場の仕事をこなしつつ
別会社の案件見積もりと顧客へ提案を平行で行い、
別案件の仕事の助っ人をして
人材確保のために隙間時間にスカウトメールを送って
面談をしていました。
そして、仕事に関わる勉強もしていました。
どんどん膨れ上がる仕事量と勉強量でした。
満身創痍の状態が数か月続いた後、
昨年4月頃から満足に眠れない日が続き、
仕事のチャットやメールが恐怖で仕方なくなりました。
また新しい仕事が降ってくると考えてしまうんですよね。
恐ろしくてすぐに開くことが出来ませんでした。
そのうち、メールやチャットの内容が頭に入ってこなくなり、
返信するのに1時間2時間数時間とかかっていきました。
どんどん対応できる仕事がなくなってきてしまいました。
なにが悲しいのか分からず涙が出てきてしまい、とてもつらかったです。
トイレに駆け込んでよく泣いていました。
通勤時間は5時半に家を出て6時半始業の終電までということもなんどもありました。
徹夜したときもありましたね。
そうなっても上司はなにも言わず、放任主義と都合の良いことを言っていました。
5月頃になるとこれは、おかしいぞと思い
自らメンクリへ受診しました。
最初に診断されたのは適応障害ですぐに休職した方が良いと
当時の担当医にいわれました。
が、しかし今の現場のこともありすぐには難しいので
ちょうど更新時期の7月から休職となりました。
7月入ってからちょっとしてからは、まだ動ける状態でした。
しかし、ちょっとしてから、毎日泣いて
希死念慮と闘う日々でした。
ご飯も水も飲まなくなり、どんどん衰弱していきました。
担当医からは入院を強く勧められ、7月下旬に初めての入院をしました。
入院中の前半はほとんど記憶がありませjん、
ずっと寝ていること以外できませんでした。
入院中はいろいろな事件にまきこまれてました(笑)
アイスを取られたり、足音事件とかいろいろあったなぁ
退院後は恐らく躁転して一気に散財+いろんな人に会いまくりました(笑)
いきなり石垣島にもいったなぁ。
その後鬱転して緊張発作を起こして、頓服が効かない日々をすごしていました。
そのころの頓服はリスペリドンでした。
リワークにも通いましたね。
リワーク行ったらまた躁転して鬱転しまし、
入院にいたりました。
この時は、1か月弱で短かったですけどね。
任意に切り替わったので、希望してなんとか退院できました。
もう入院はしたくありません。。
入院はいいものではありませんよ。
今はニュートラルな状態でちょっと鬱気味かなって感じです。
でも去年の比にならないぐらいなので、全然いいです。
産業医と面談をして、ちょい低空飛行を維持しつつ
他部署に復職に向けてがんばろうかなと思います。
ここまで来るのに長かった。
働きたいと思える日がくるなんて昨年の私には
考えられなかったです。
では、また~